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帰省します

今年、このブログを始めて、たくさんの方にコメントを頂き、とても充実した1年でした。

ブログを読んで下さった皆様。ありがとうございました。

来年はもっとパワーアップできるように、現実的に、地道に、努力していきたいと思っています。

ではでは、良いお年を・・・。

 

nonoka

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イヴの日の解読①

クリスマス・イヴはジュネさんの解読の日だった。 何て素敵なクリスマスプレゼント^^☆

前回ジュネさんと話してから約1年。何度もお会いしているけど、改めて電話する時はやっぱり緊張するな~^^;

久々に聞いたジュネさんの声は、相変わらず明るくてパワフルだった。

「わ~、ご無沙汰です!!」「ほんとね~、何ヶ月ぶり?」「すっかり有名になられましたね~。」と、つい10分ほど世間話をしてしまった・・・勿体無い(笑)。

今回の解読はすごく有意義でいろんなことを教えてもらった。

その中でも内容の濃かったものをいくつか書きたいと思う。

まず気になっていたのは、1年前に亡くなった愛猫たまのこと。

あれは7年ほど前。元夫(元旦那)の実家へ向かう車の中で、私は猫を飼いたいと元夫に訴えていたが、元夫は苦笑いしていた、まさにその日の夜。

居酒屋から実家へ戻る途中、ポツポツ雨が降っていたので急いで歩いていたら、にゃぁにゃぁと、か細い声が聞こえるので周囲を見回してみたら、公民館の軒先で子猫が雨宿りをしていた。

「どうしたの?捨てられたの?」と声をかけると、その子猫は私のところへ一目散に走ってきて、体をスリスリしてくる。私は「ごめんね、飼えないんだよ。」と泣く泣くその場を離れようとしたが、その子猫は小さな体で私のあとを一生懸命追いかけてくる。

私はたまらなくなってその子猫を抱き上げ、元夫に頼んだ。「この子猫、飼ってもいい?」

そうして飼うことになったのが、たまである。

最初は2LDKの部屋で飼っていたのだが、離婚と同時に私とたまは1Kの部屋に引越し、たまはとても窮屈そうだった。

ストレスが溜まったのか、たまは病気になってしまった。私はたまを広くて外にも出られる私の実家に預けることに決めた。離れるのは辛いが、たまにとってはその方が幸せだと思った。

それからすぐ両親に許可を得てたまと一緒に実家に行き、数日一緒に居た後、私は後ろ髪引かれながら福岡へ戻った。

離れて2日目、電話してきた母から「たまはアンタが寝てたところから離れないんだよ。アンタを探しているみたい。淋しいんだろうね。」と言われた時は、辛くて泣けて仕方なかった。

たまが実家で暮らして数年。父も母もたまをとても可愛がっていた。たまはとても幸せそうに見え、私はたまを実家に預けて良かったと思った。しばらく離れていても、たまは私のことを覚えていてくれているらしく、帰省するといつも傍に寄ってきてくれた。

去年の夏も、私が帰省すると、たはいつものように寄ってきてくれた。いや、いつもよりもっと甘えてきた。

めずらしく、寝る時も私の布団の中に入ってきて一緒に寝てくれた。どうしたのかな?なんて思いつつ、ほんの3日の滞在の後、たまにお別れを言って福岡へ戻った。

それから2ヶ月ほど経ったある日。

たまがいつになっても家に戻ってこなかった。

こんなことは初めてで、心配した両親は近所を探したが見つからず、少しあきらめかけていた。

3日ほど経った時、近所の人が「あれ、たまちゃんじゃない?」と母を呼びにきた。

母が近所の人について行くと、昨日探した時はいなかったはずの、家のすぐそばの道路に、たまがぐったりと横たわっていた。

まだ息があったので、両親はすぐに病院に連れていったのだが、交通事故にでも遭ったのか、たまの背骨は折れており、手術しても下半身不随で動けなくなるとのことだった。

両親は、たまを楽にしてあげたかったと言っていた。仕方なく安楽死させたそうだ。それがたまの最後だった。

私は母からその話を聞いて、涙が止まらなかった。

前回の帰省の時、あんなに甘えてきたのは、自分の死期を感じていたからだろうか。

母の話から、恐らく、たまは家から離れた場所で交通事故に遭い、背骨が折れてしまった状態で、3日もかけて、必死に家まで戻ろうとしたんだと思う。

どんなに痛かっただろう。どんなに辛かっただろう・・・。今思い出しても泣けてくる。

そんなたまが今、幸せでいるのかどうか知りたかった。

犬や猫は集合意識の方が強く、個別の意識を認識するのは少し難しいらしいのだが、たまの年齢や他界した時期などを伝えると、ジュネさんはしばらくしてこう言った。

「猫は普通、死ぬ姿を飼い主に見せないのよ。でもね、たまは、どうしても最後に飼い主の顔を見たかったようだわ。

最後に顔を見てから、どこかへ行って死ぬつもりだったけれど、力尽きて、家のそばから動けなくなっちゃったみたいね。

辛かっただろうにね・・・。何て健気な猫ちゃん。

でもね、その時の痛みは、動物の神様みたいな存在がいるのだけれど、その神様が取ってあげていたみたい。少しはマシだったと思うわよ。

・・・たまは幸せだったって言ってるわ。そして・・・、たまはもう転生してるわね。

えっ??・・・は、早っ!!!(笑) まだ1年しか経ってないのに・・・^^;

「しかも、また同じ「たま」という名前だわ。たまという名前になりそうなところを選んで生まれたのね、きっと。大丈夫、今も幸せよ。」

・・・、そっか。

幸せで、良かった・・・・・・^^

ジュネさんのおかげで私の中にわだかまっていたたまの想いは、すうっと浄化されたような気がした。ありがとう、ジュネさん!

多分、つづく。

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誕生日は何の日?

以前、父の誕生日は12月25日でイエス・キリストの誕生日と一緒母の誕生日は4月8日でお釈迦様の誕生日と一緒、と書いたが、実は私の誕生日の2月15日にも意味があることがわかった。

先日、ちらっと「大安」の意味を調べてて、ついでに他の六曜の意味も読んでいたところ、「仏滅」の説明の一部にこう書いてあった。(wikiより引用)

『釈迦が死んだ日とされる2月15日が旧暦では必ず仏滅になるのは・・・・』

へっ!!!2月15日????

私の誕生日、2月15日はお釈迦様が亡くなった(入滅した)日なのっ?!

ひょぇぇぇぇ~~~~!知らんかった!ナンだこの偶然!!!

いや~、最近、何が起こってもあまり驚かなくなっていたが、これにはちと驚いた。

偶然にしちゃあよくできた話だわ~(笑)。面白い。

親はイエス・キリスト&お釈迦様が生まれた日、娘はお釈迦様が亡くなった日が誕生日だなんて。

私は早産だったらしいのだが、きっと後々ブログのネタになることを知っていて、予定日より早い15日に生まれたのかもしれないな・・・。(ジュネさん曰く、自分が生まれたい日に生まれるらしいし。ちなみに先ほどジュネさんの解読を受けた(笑))

なかなかやるな~、私(笑)。

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予知

たま~に、一瞬先の場面が頭の中に映像として浮かぶことがある。

たとえば、テレビをぼんやり見ていると、次のシーンが先に頭に浮かび、一瞬遅れでその頭に浮かんだシーンがテレビの画面に映し出される、とか。

誰かと会話していると、その人がどんな顔で何と言うのか、一瞬先の映像が頭に浮かんだり、とか。

結構ビックリする(笑)

これって予知なのかな?

実際に見えている世界との一瞬のズレ。

それから、最近はどの夢が予知(後々デジャヴとなる)夢かというのも、なんとな~くわかるようになってきたし、実際にデジャヴが多い。

現実的な、具体的な夢を見ることも増えてきた。とても不思議である。

  

しかし、これらはえてして・・・、何の役にも立たないんだよな・・・(-_-) う~ん。ま、いっか。

 

*お知らせ*

性懲りもなく新しいブログを始めました。 → ** 淡色(あわいろ)空気 **

スピ抜きで正直な気持ちを綴っていくつもりです。

 

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自己完結

精神世界には「ワンネス(全てはひとつ)」という言葉があるが、個人として生きていると、それを実感するのは難しい。

それに、「ワンネス」という考え方が真実だったとしても、私たちは「個」として生きる必要があるから、一人ひとりが個人として生き、それぞれが「自我」というものを持っているのだと思う。

「個」として生きることで、「他人」との摩擦が生まれ、悲しみや憎しみの感情が湧いたり、逆に、分離しているからこそ、愛情や溢れる感動を、相手を思いやれる優しさを経験し、たくさんのことを学べるのではないだろうか。

また、人は人と関わって生き、他人からの干渉を受けているように思われるが、実は、全部自分ひとりで完結しているんじゃないかとも思う。

日々起こる様々な出来事には良い悪い、正しい間違いなどなく、それを判断しているのは常に自分であるし、他人に何か酷い事を言われたとしても、言われた側の精神レベルによって、受け止め方は千差万別である。

そう考えると、自分がどう考え、どう受け止め、どう思うかによって、日々の出来事は自分の中で色づけされ、この世界を良くするも悪くするも、結局は自分自身の考え方ひとつであると思わざるを得ない。

人は皆、潜在意識で繋がっているという。

最近はいろんな人とシンクロすることが多く、やっぱり繋がっているんだなぁ、と実感し、徐々に分離が緩和されつつあるのかな~なんて思うこともがるが、でもそれはたまにそう思うだけで、通常は顕在意識が顕著で「個」としての認識が強い人がほとんどだと思う。

自分には自分の世界があるように、もちろん、人(相手)には人(相手)それぞれの世界が存在する。

潜在意識で繋がっていても、個人個人の意識(や価値観)の差があり、そこから出来事に対する認識の違いが生まれ、先に述べたように、結局は、この世界を良くするも悪くするも本人次第、つまりは、何事も自分だけで完結しているんじゃないだろうか、何て思ってしまうけれど、それは私の浅はかな考えなんだろうか・・・。(う~ん、イマイチまとまらなかったかな・・・(笑))

【お詫び】

前回の記事で、「まはるださん」のお名前を誤って記載していました。

改めてお詫びします。まはるださん、すみませんでした。 m(__)m反省

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早い。

ハワイから戻ってからというもの、様々な面で新展開を迎えている。

その一つが、展示会のお誘い。

ifさんの紹介により、展示会に写真を出品させて頂くことになった。

会場は、東京の南青山。(詳細はコチラ) 

ifさんはもちろんのこと、orbisuさんまはるださんも出品されるとのこと。

私は趣味で写真を撮っているが(写真ブログはコチラ)、こうやって展示会などに出品するのは初めてである。(ifさん、Sさん、ありがとうございますm(__)m)

写真はいつもブログにポチポチ載せてるだけだが、棚ボタ的に何か進展があったらいいなぁ~(無精者・・・)、なんて都合よく考えていたらこうなったので、ちょっとぴっくり。

最近本当に、思ってから現実になるまでが早い。

写真だけではなく、様々な面で変化が著しく、私自身が追いついてない。(ダメじゃん・・・)

このままいくと、来年は忙しくなりそうだなぁ・・・。

・・・・がんばろうっと。(←既にちょっと面倒臭くなってきている(笑))

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仏教聖典

日本では、どこのホテルにもだいたい、聖書が置いてある。

通説では、ギネオン協会という団体が聖書をホテルに寄付しているとのこと(布教活動の一環)だが、ハワイのホテルには、聖書と一緒に仏教聖典が置いてあった。

仏教聖典は今まで一度も読んだことがなかったので、寝る前にパラパラと読んでみたら、これがなかなか面白い。

睡魔に勝てず、あまりたくさんは読めなかったのだが(笑)、なるほど~と思ったことがあったので引用してみる。

『姿や形だけで仏を求めてはならない。姿、形はまことの仏ではない。まことの仏はさとりそのものである。だから、さとりを見る者がまことに仏を見る。』

最近のスピリチュアルを戒めるような内容だなぁ、などと思いつつ、そういえば、私も以前、お釈迦様のような姿を見たことを思い出した。

朝日を浴びながら瞑想している時、雲のようなものの上に胡坐をかいている、奈良の大仏に髭を生やしたような人が現れて、大きな手で私の頭を撫でていった。

私はその時それが誰だかわからなかったのだが、後日、ある人のブログに載っていたお釈迦様の絵を見て、先日のおじさん(笑)がお釈迦様にそっくりなのを知った。

その時は、へぇ~、まさか、お釈迦様じゃないよなぁ~。くらいに思っていたのだが、今考えるとそれは、お釈迦様でも何でもなく、誰か低次元の存在が見せた単なる幻だったんじゃないかなぁ~、という気がしてくる。

私がそこで「私はお釈迦様を見た!」と騒げば彼らの思う壺だったのかもしれないが、生憎私はそれがお釈迦様だってことすら気付かなかったので(笑)、もし彼らのいたずらなら、ご期待に沿えず申し訳なかったかな~。

まぁ、本物にしても、低次元のいたずらにしても、瞑想中にあんなになっきりと視えたのは初めてだったので、それはそれで面白かった(笑)

仏教聖典、少ししか読めなかったので、購入しようか検討中・・・。

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体に良い水求む

この記事の3つ前、『近況』の記事をUPした次の日、一緒に夕飯を食べていた友人Kが偶然、浄水器の話をしだした。

今度、彼の関連会社が代理店契約をすることになった浄水器メーカーがあり、彼の会社にも、その浄水器販売の営業マンが浄水器の説明をしに来たらしい。

Kはその営業マンの説明にすっかり納得し、私にもその浄水器がいかに良いものかを説明しだした。

その浄水器は水道の水を電解還元水に変えるタイプの浄水器で、この浄水器を通した水を飲めば、水が電気分解されて、ホニャララがナントカカントカの作用により活性水素ができ(笑)、それを飲むことで人体の活性酸素が減り、とても健康になるとのことだった。

また、その浄水器メーカーは浄水器の売り上げが全国1位だそうで、新聞にも載ったんだよと、新聞のコピーまで見せられた。

K曰く、Kの会社の中にもその営業マンの説明を聞いただけで、浄水器を購入した人が数人いるとのこと。

私はこういった話はまず疑ってかかるタチなので、彼の話を聞きながら、「胡散臭い。」を連発していた(笑)

まずもって科学の知識なんて全くないので、その電気分解した水の専門的な説明が全く理解できない(爆)

私は自分が理解できないことは、簡単には鵜呑みにしない。

こういった証明が難しい事に関しては、とりあえずできるだけ情報を集め、その説明が信憑性のあるものだと納得した上でないと信用できない。

だから、営業マンの難解で尤もらしい説明を聞いただけで、安くもない浄水器を購入した人がいることに驚いた。

そもそも、営業マンなんて、良いことばかりしか言わないものだと思う。だって、浄水器を売るのが仕事なんだから。

それに、売り上げが1位だからといってそれが信用に繋がるかと言えば、それも甚だ疑問である。腕の良い営業マンを揃えていれば、その浄水器の良し悪しに関係なく、商品はバンバン売れる。彼の会社の数人が営業マンのトークだけで何の疑いもなくその浄水器を買っていることが、何よりの証拠である。

こともあろうにKまでもが、俺もお金に余裕があったら買ってるかもな~。なんて言い出すものだから、ちょっと浄水器について調べてみた。

私は頭も良くなければ知識もないが、インターネットで調べるくらいならできる。

そしたら、こんなサイトが引っかかった。TOPページの下の方に電解水についての説明書きがある。(※内容についての判断は各自でお願いします。正しいかどうかはわかりません。)

それ以外にも、水についての様々な情報が載っていて、なかなか面白いサイトである。

私は浄水器の説明書より、新聞記事より、友人Kの説明より、そのサイトの話の方がより説得力があるように感じたので、一応、Kにそのサイトを紹介しておいた。

真実は一つ、なのかもしれないが、様々な側面を持っているし、真実ではなくても、思いがけない結果をもたらすこともある。

プラシーボ効果なんてものがあるように、人は現実を自分で造りだす力を持っている。顕在意識ではどうにもできないことでも、潜在意識に届けば叶うように。

この浄水器についても、私のように疑い深くしているよりは、純粋に信じて電解水を飲み続けることで(それがプラシーボ効果であっても)健康になるのであれば、それはそれでいいのかもしれない。

逆に、本当に良いものであっても疑いながら使用していれば、病気になってしまうのかもしれない。

人の『思い込み』が及ぼす影響は計り知れないのだから。

Kもそうなのだが、ストレスが多い生活をしている人は水を良くするより先に、心を健康にすることの方が大事なんじゃないかな~、なんて思うけどな~。

もちろん、水が良ければ尚良し、だけど。

(ちなみに。毎朝の白湯、今はちゃんと煮沸してから飲んでます^^;)

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同じ穴の狢(むじな)

1年ほど前のこと。

私は所属する部の部長に嫌われていて、あることないこと周囲に言い触らされていた。

何故嫌われたのかと言うと、私が彼を振ったからである。

私は彼とは数回しか話したことがなかく(しかも個人的ではなく仕事の打ち合わせで)、誤解させるような事は何もしていないのに、どうして私のことを?と思っていたら、どうも彼に「nonokaさんは部長のことを好きみたいですよ。」と言ったヤツがいたらしく、彼はその気になっていまったようだ。(ソイツは何のためにそんな事言ったんだろう??疑問だ。)

まぁとにかく。お断りしてからの彼の攻撃はかなり陰険で、上部の会議でも私のことをあれこれ言っていたらしい。

直属の上司は私を庇ってくれたのだが、部の長に公私混同も甚だしく攻撃された私は、徐々に居心地が悪くなっていった。

でも私は、ここで彼を憎んだり怨んだりしたら彼と同じになってしまうと思い、こうなったのは私に落ち度があったのか、自分が引き寄せてしまった出来事なんだろうと、彼を悪者にするのを極力避けた。

しかし、どうしても、私や私の周囲に悪影響を及ぼす彼の仕打ちに、仕事をする気が少しずつ萎えてきてしまって、とうとう上司を呼び出して言った。

「私、辞めたいんですけど。○○課長(上司)も知っているでしょう?部長に嫌われているの。これ以上、課長や他の人に迷惑かけるのも嫌ですし、私も正直、もうキツイです・・。」

すると上司が言った。

「それは困る!あんなキ○ガイの言うことなんて気にしなくていい。もう少しがんばろう。頼むから、とりあえず、今期は残ってくれ。」

お世話になっている上司からそう言われて私は、もうちょっと頑張ることにした。(でも課長は、期末を待たず退職しちゃったんだよ~。ズルイ(笑))

そして期末間近のある日。

私の所属する課は、丸ごと他の部に移ることになった。それは権限を持っている彼が仕向けたことのようだ。

そして、課を異動させた彼は、何と、遠い北の地へ異動することになった。

私は思った。やっとカリキュラムが終わったんだ~・・・。と。

今所属している部は上下関係がしっかりしており、社員ひとりひとりの意識がとても高い。みんな責任を持って真剣に仕事をしている。

それを取り仕切る部の長ももちろん器が大きく頼りになる人物であるし、新しく上司になったE課長は、なんだか昔から一緒に仕事をしていたような親近感があり、とても仕事がしやすくなった。

もしあの時、私が彼を憎んだりしたらどうなっていただろう。今と何か変わっていただろうか。

状況は変わらないかもしれない。でも私の心の在り方は大きく違う方向に進んでいたかもしれない。

この1年で様々な変化があった。これからはもっと大きな変化がありそうだ。

二極化はますます進むような気がする。

上に行くか下に行くかは、日々の些細な出来事に対する心のあり方ではないだろうか。

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